「いつまでも」にはわけがある

頑なに「いつまでも」やると言い続けてるのには

私なりの理由がある。

私の母は若い頃から入退院を繰り返す重度の精神障害者です。

私が物心ついた頃にはもうそんな状態で。

常に精神が不安定な母は、誘われるままに宗教団体に救いを求めたり

何やら怪しい祈祷のようなものを受けたりもした。

そのたびに家族は振り回され、ちいさい私も少しだけど傷を負った。

中にはそんな母を心から救おうと関わってくれたひとがいたのかもしれない。

でも、多くは本当に母を思って関わったわけではなかったんだと

今になればわかるのです。

 

そして、そう。

今だからわかること。

 

誰かの人生に関わるってそんなに簡単なことじゃない。

簡単に考えちゃいけない。

もしその誰かが、なんらかの救いを必要としているひとならばなおさら。

 

だから・・・

その誰かにとって私がただの通りすがりであったとしても

忘れ去られる存在だったとしても

私自身はいつでも誠実で全力でなきゃいけないと

心のどこかに誓っています。

 

それは幼少からの経験だけでなく

おとなになってから支えてくれたたくさんのひとびとが

今も私を心の中で支え続けてくれているからなのです。

 

私たちは「贈る」だけでなく、その地に「赴く」ことを決意した。

そのときから

「一生関わり続けること」

がもれなくついてくるのは、私には当たり前のことでした。

 

期限なんか決められない。

それは私の勝手な「私の中だけの」正義。

もちろん、拒否されてしまえばおしまいなんですが^^;

 

 

2 thoughts on “「いつまでも」にはわけがある

  1. Momi

    >誰かの人生に関わるってそんなに簡単なことじゃない。

    それがわかっているからこそ、「責任が持てないから関わらない」という人もいる。そこをあえて「一生」を覚悟して関わり続けてくれるRoccoさんはすごいな、と尊敬しています。

    力みすぎると相手も疲れるけど、力を抜いて細く長く続けていけたらなと思いながら参加させてもらっています。

    忘れられるのが一番悲しいですものね…。

    これからもついて行かせてください(笑)よろしくお願いします。

    返信
  2. Rocco 投稿作成者

    > Momiさま

    いつもいつもお世話になります^^
    Momiさんこそ皆勤賞じゃないでしょうか!?
    すごい!と思ってしまいます。
    私も「わかっているからこそ関わらない」ことが多いんですよ^^;
    今回は違ったというだけです。
    ご自身にも無理のないように、ついてきてください(笑)ね。
    こちらこそよろしくお願いします!

    返信

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