まずは、赤前小学校への支援にご賛同いただいているたくさんの皆さまにお礼を申し上げます。
お陰さまで、第一便にましてタイトなスケジュールながら、第二便を決行できることになりました。
先ほど日本手芸普及協会さまより、男女合わせて200枚のスクールバッグを受領しました。
昨日お願いしたにも関わらず、本当に迅速にご対応いただけましたことをここにご報告いたします。
さて、すっかり遅れましたが昨夜遅くおっちゃんが帰宅しましたので、第一便のご報告をさせていただきます。
・・・その前に、私たちの支援バッグを岩手県の子供たちに届ける道をつけてくださった方をご紹介しなければなりません。
今回現地コーディネーター(←ご本人自称)としてご活躍くださった三浦範和さんです。
以前の記事にも書きましたが、彼はたったひとりで活動を開始し、先日の炊き出しまでこぎつけた方です。
今もご自身のブログやmixiコミュニティ(東日本大震災 頑張ろう!いわて)、twitterを活用し、「今できること」の実践をしていらっしゃいます。
ぜひ応援をよろしくお願いいたします!
(以降「岩手のおっちゃん」)
前置きが長くなりましたが、第一便のご報告をさせていただきますね^^
4月19日の東北地方は、冬に逆戻りしたような冷たい雨と雪の1日となりました。
首都圏から行ったおっちゃんたちは「大雪」と言っていましたが、急きょ立ち寄った市内のカー用品のお店でも既にタイヤチェーンの扱いが終了していたことから、4月も半ば過ぎとしては異例の雪と寒さだったのだろうと思います。
0:00ジャストに家を出て、途中仙台のおっちゃんと合流し、会場となった市立津軽石小学校に着いたのは11:00。
11:30には岩手のおっちゃんと神奈川から参加の炊き出し部隊と落ち合えたそうです。
おっちゃんたちからの断片的な情報だけで先日ほんの少しだけ報告をしましたが、昨夜遅く帰宅した千葉のおっちゃんの話では、とにかくいろいろな出会いがあったらしく、それを拙い文章できちんと伝えられるかどうか不安になります。
津軽石小学校は近隣に在宅避難をされている方々を含め320名以上の避難者が集まる少し規模の大きな避難所(私にはそれが大きいのかどうか判断できませんが)で、自衛隊の設営したお風呂もありました。
この写真は遠目でわかりにくいかもしれませんが、男湯と女湯に分かれ、女湯の前には女性自衛官が立って安心を確保してくれているそうです。
仮設トイレなどもきれいに管理され、衛生上の大きな問題はなさそうだったと聞いて少しだけほっとしました。
物資は避難所となっている体育館のステージ前に積まれ、必要な方が簡単な申告をして使えるようになっているそうです。
最低限の日用品は自衛隊によって運ばれてきており、きちんと補充もされているとのことでした。
ただし、「必要最低限」であることを忘れてはいけないと思います。
避難所内は仕切りもなく、少ないスペースに毛布や身の周りのものを置いて生活なさっています。
避難所内の写真は岩手のおっちゃんからいただきましたが、TVの報道などでも見かける寂しい光景ですので、ここでは割愛させていただきます。
もちろんプライバシーはまったくありません。
そんな津軽石小学校で炊き出しは行われました。
炊き出しは神奈川から参加の6人グループが一手に引き受けてくれているので(元々←のグループが炊き出しを申し出てくださったようです。)、その間岩手、仙台、千葉(年齢順^^)のおっちゃんたちは物資担当として動きました。
避難所自体は上記の様子で、私たちがお届けできるものはありませんでした。
そこで、始業式や入学式の準備中の小学校校舎の方へ。
はじめ教頭先生が対応してくださりお話しをしたところ、すぐに校長先生が出迎えてくださったそうです。
サンプルになるようにいくつかのバッグをお見せすると、とてもとても喜んでくださって、またまたすぐに校舎内で始業式や入学式の準備をされていたすべての職員の方々を呼び集めて(総勢15~20名ほどだったそうです。)。
皆さん揃って深々と頭を下げてくださり
「用意してくださった皆さんに本当にありがとうございましたとお伝えください。」
と言っていただけたとのことです。
そしてそこにはあたたかい涙も・・・。
こうして「文房具入りバッグ@おばちゃんのきもち」は25日の始業式に登校してくる子供たちに手渡されることになったのです。
自衛隊の方々も、警察の方々も、お医者さんも、看護師さんも、たくさんの方々が避難所でご尽力されています。
でも、私たちのような公の派遣ではない一般人が目を向ける大切さを、皆一様に感じたそうです。
先日も貼り付けたこの2ショットは、そんないろいろないきさつがあった後、「あ!写真を撮ってない!」ということで撮らせていただいたものだそうです。
実はその裏にはとても感動的で嬉しい場面があったんですね^^
千葉のおっちゃんは、皆さんからのご厚意のお陰でここにいられること、一番いい役をさせていただけたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいになったと言っていました。
本当にありがとうございました!
この後もご報告は続きますが、それはまた今晩「ご報告9」に書かせていただこうと思います。
震災発生後、我が家のライフラインが復旧するまで10日間近くを要しました。
その間に自分自身を見つめ直し「自分が出来ること」「自分がやれること」「何をするべきか」など考え続けてきました。
ライフラインが復旧後、ガソリンが入手でき次第、宮城県南、岩手広域をたった一人で回り、被災地(避難所)訪問を続けました。
その時いつも自分の車には、お米を180kg積み、避難所へ届ける日々が続いていました。
合計で、何kgのお米を運んだのかすら把握できないくらい、ひたすら運び続けていました。
やはり『一人の限界』にぶち当たり、それでMixiへ「頑張ろう!いわて」のコミュを創設しました。
ですが、参加してくれる人は多くても、実際行動に結びつけてくれる人が希で、毎日四苦八苦していました。
Twitterを通じ、管理人様と知り合うことが出来、今日に至ります。
皆様、趣旨ご理解の上、ご協力頂き感謝しております。
どうか今後ともよろしくお願いします。
※スレ違いだったら、ごめんなさい
遅くなりましてすみません。
千葉のおっちゃんこと小枝伸知です。
今日の朝早くに自宅へと無事帰宅しました。
先ずは、この場をお借りして皆さんに御礼を申し上げたいと思います。
現地に赴き、いろいろな事を見、聞き、感じてまいりました。
そして、皆さんの気持ちをしっかりとお伝えてしてくることが出来たと思っています。
岩手の海岸部は陸の孤島のような状態で、内陸部から行くには山間部を120km走らなければならず、とても簡単にいける場所ではありませんでした。
そして私たちの行った宮古市の沿岸部の街は壊滅的な被害にありました。
避難所となっている二つの学校も手前ギリギリの所まで津波が来ていました。
防波堤は壊れ、線路は針金のように曲がり、電車は向きを変え、平地は瓦礫と泥や砂で覆われ、道はデコボコになっていました。
涙を抑えることができる状態ではありませんでした。
そんな中、学校の校長先生達や避難所の人達は温かく私達を迎え入れて下さいました。
皆さん達から預かった物資を快く受け入れてくれ、
校長先生が責任を持って皆に分配すると言って下さって、預けてくることが出来ました。
そして、保育園園長さんも三カ所の子供達が集まる場所へ分配させて頂きますと言って下さいました。
しっかりと、皆さんの気持ちを置いて来れたことをご報告させて頂きます。
現地には、自衛隊、警察の方々がたくさんいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
物資も必要最低限のものが一通り揃ってました。
しかし、そこから一歩踏み出す為に必要なものがありません。
その中で、子供たちにカバンや文房具を送り届けることができたことを本当に良かったと思っています。
簡単な報告になってしまいますが、申し訳ございません。
本当にありがとうございました。
また、おりを見てこちらに書かせて頂きますので、よろしくお願い致します。
宮古の人々に支援させて頂くにあったって、多大な協力をしてくださった三浦さん、
この場を借りてお礼をさせて頂きます。
小枝伸知
この度は、みなさまのおかげで貴重な経験をすることができました。
本当にありがとうございました。
また、現地にて車が故障し、みなさまの善意を汚してしまったこと、深くお詫び申し上げます。
この事で4/24に再度宮古市へ向かうこととなり、みなさまには早急の準備を強いてしまいました。
にもかかわらず、ご協力をいただけました事。 誠に感謝いたします。
内輪の話で申し訳ありませんが、三浦さん・Rocco・千葉のおっちゃんにもここでお礼を言わせてください。
多々の尽力、ありがとうございます。
私は再度宮古に向かいます。第二の仙台のおっちゃんと共に。
彼は私の会社の同僚で、私が被災地に向かうことを伝えると直ぐに子供用の駄菓子を大量に準備してくれた友人です。
第2弾は私たちが確実に運びます!
みなさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
仙台のおっちゃんこと、水野彰義。
三浦さん、千葉のおっちゃん、仙台のおっちゃん、本当にありがとうございました!
これからも、微力ですが協力させて頂きたいと思っています。よろしくお願いいたします。
おっちゃん?の皆様
こちらは感謝でいっぱいです!
本当にありがとうございます。
(当方 福岡のおばちゃんでございます)
子供たちが笑顔いっぱいになりますように
そしてその子の御家族 避難所の皆様も
笑顔いっぱいになる日が近付く事を
祈っております。
三浦様、小枝様、Roccoさんの弟様
まとめてのコメントで失礼いたします。
お三人様のコメントがアップされた時点でコメントしたかったんですが、どうしてもことばが出てこなくて・・・。
バッグの制作や文具の提供で協力させていただきましたが、やはりほんとうに大切で現地の方が必要とされているのは、人なんだと思います。
物品の支援も、届けてくれたお三方がいたからこそのものだと思っております。
遠方、悪い道路状態に加え悪天候。
こんな中、文字通り必死に届けてくださったことに、ほんとうに感謝しております。感謝なんてことばでは言い表せないくらいの気持ちで、それでどうしても文章にならなかったんですが、書かないことには気持ちは伝えられないので、遅くなりましたがコメントさせていただきました。
私にできることはとても少ないのですが、できることは今後も協力させていただきますので、よろしくお願いいたします。
> コメントくださった皆さん
お世話になります。
ご報告が完了していなくてすみません。
たくさんのメッセージがすべて私たちの力になります。
本当にありがとうございます。
おっちゃんたちもこれからもどうぞよろしく!