昨夜遅く自宅に帰ってきました。
ご支援、ご賛同くださったみなさんのお陰で第三便も子供たちに無事届けられましたことを心から感謝申し上げます。
また、このような役割をわたしたちに委ねてくださったことに深くお礼申し上げます。
早速第三便のご報告をさせていただきますね。
第一便、第二便は岩手、仙台、多摩、千葉のおっちゃんに任せる形でしたので、私自身は第三便となる今回初めての被災地への訪問となりました。
現地に着くまで実はさまざまなことを考え、悩んでいました。
私のような人間が被災地に向かっていいものか。
被災地で生活されているみなさんと接する資格があるのか。
などなど、などなど。
でも、報道されているものと同じ風景が目の前に広がった瞬間にそんな思いはすべて吹き飛んでしまいました。
「できることをできるときに」
と誓ってやってきたんじゃないか。
今できるんだから、なりふりかまわずきちんと役割を果たしてこよう、と。
まず予定通り向かった先は山田町の大沢保育園です。
ゆとりをもって仙台を出発したにも関わらず途中東北道が事故渋滞で動かなくなり、先方を大幅にお待たせすることになるかととても気を揉みました。
結果としては13時の予定から大きく遅れ、大沢保育園川端園長先生にお会いできたのは13:45になっていました。
エイメイさんが調整してくださったお陰で、園長先生をお待たせすることなくお会いできたことに感謝です。
大沢保育園は必要とされて4月1日から保育を再開されている現在園児30名の保育園です。
私立保育園が21日ぶり再開 岩手・山田町 (毎日JP)
保育園の目の前まで津波が押し寄せ、1段下の園舎は浸水があって使われていませんでした。
浸水のためだけでなく、子供を預けたい親から「使わないでほしい」と要望もあるそうです。
無理もないことだと思いました。
園長先生はこちらから何かお聞きするより前にいろいろな状況をお話ししてくださいました。
「今はちゃんと給食も出せるようになって、不足がなくなった。」
とおっしゃられましたが、献立表を見ると牛乳とパンだけの日もありました。
これは普通じゃありません。
ちっとも足りてなんかいないんです。
でも、それに耐えなければならないと思われているのかもしれません。
なんとか子供たちに栄養のバランスを考えた食事を提供し、更に正常になるまで継続させることはできないものか。
大きな課題が残りました。
始めは「物資は足りている」とおっしゃられた園長先生に、おそるおそるバッグを30枚お持ちしたことを切り出してみました。
現物をお見せすると、とてもとても喜んでくださり快くお受けくださいました。
その上写真をご一緒しましょうとご自身から申し出てくださった1枚がこちら。
「ご支援くださった全国のみなさんにどうぞよろしくお伝えください。」
とお言葉をいただきました。
その後近隣の様子を伺うと、園のすぐ裏手の高台にある「山田町ふるさとセンター」をご紹介くださいました。
「山田町ふるさとセンター」は近隣の物資を管理している場所になっており、避難所や自宅避難されている方々に必要物資を配給しています。
園長先生のご紹介で、山田町町議会議長さんにお会いすることができ、管内にいらっしゃるお子さんの人数分の文房具入りバッグをお預けすることができました。
そこでたけのこをお持ちしたことを切り出すと大変喜んでくださって、すぐに避難所のたけのこごはん用をまず確保され、ちょうど自宅避難の方々の配給の時間になったために「ご自由にお持ちください」と置いてくださいました。
たけのこを分けてくださる様子を「ぜひどうぞ」ということで1枚。
たくさんの方々が「こりゃあ初物だなぁ」とか「ありがとう」と声をかけてくださいました。
まるで近所のおじさんおばさんたちが気軽に声をかけてくださるように。
ここでお預けした文房具入りバッグに、今日メッセージが届きましたのでお知らせしておきます。
岩手県山田町の山田幼稚園に通っている園児の母です。
素敵なバッグに鉛筆やノートまでありがとうございます。私の家は津波の被害はありませんでしたが、500メートル下れば一面見たことのない町になっていました。地震発生時もちょうど幼稚園バスが着いた時でした。
うちでは女の子二人が幼稚園に通っています。3月11日から1ヵ月以上幼稚園へ行くことも出来ず、近隣の市や町も被害を受けたため出掛けることも出来ず、子供たちもストレスが溜まっていたと思います。
ようやく幼稚園へ通えるようになりましたが、下の子は今年入園でバッグも古い物を使っていました。そして今日嬉しそうに帰ってきて、『いっぱいもらったんだよ!名前かいてー!』と喜んでいました。上の子は皆さんからのお手紙を一生懸命読んでいました。
本当に本当にありがとうございました。
そこで園長先生とお別れし、ふるさとセンターからほど近い「大沢小学校」に向いました。
大沢小学校避難所は町の職員の方が管理されていて、趣旨をお伝えすると「上の者に判断を仰いで連絡します。」と言われました。
そこで携帯番号をお渡ししたものの、ここで足踏みしているのは時間が惜しいので待つより動こうということになり、山田高校に向いました。
山田高校は私たちが伺った中では一番大きな規模の避難所で、400名の方々が避難されていました。
本当にひとの出入りが多かったです。
校庭はふたつに分けられ、奥は自衛隊の基地になっており、手前は利用者の駐車場になっていました。
自衛隊側には津軽石で見たような自衛隊設営のお風呂があり、男湯に「大雪の湯」と名付けられていたのが妙に印象的でした。
外のテントに詰めていらした方に訪問の趣旨を告げると、すぐに代表者に確認をとってくださり、子供の人数を計算してくださったので文房具入りバッグをお預けすることができました。
大規模であっても指揮・管理系統がしっかりしている印象を受けた避難所です。
山田高校を後にして、次はどこへ伺おうかと話しながら走っていると、大沢小学校の担当の方から電話が入りました。
「そのようなもの(文房具)は足りているのでご辞退したい。」
とのこと。
「お手数をおかけしました。」
と電話を切りましたが、なんだかとても残念な気持ちでした。
確かに文房具は学校から支給され始めたことは知っています。
でも、それはとても味気ないものだということも知っているからです・・・。
押しつけることはできないし「まあ、仕方ない」と気持ちを切り替えるしかありません。
ここで少し考えました。
大きな避難所では私たちの持ち込んだ物資では足りないかもしれない。
そして大きな避難所は役場がきっちり管理していて、避難されている方と直接お話しすることも難しい場合がある。
やっぱり私たちはより小さくて手が届きにくいところを訪ねて回ろう。
という結論になりました。
次に向かった織笠地区では当初「織笠小学校」に行く予定でしたが、小規模な避難所「織笠保育園」に伺うことにしました。
織笠保育園は急な上り坂の上にある保育園で、その下に広がる集落はすべて流されてしまっている状態でした。
その急な坂はたまたま来た佐川急便のトラックが上るのを断念したほどです。
崖にはりつくように取り付けられたこれまた急な階段を上ると園庭が広がっており、右手にはいくつもの鯉のぼりがロープを渡して揚げられて、園庭奥に園舎がありました。
先客の佐川のおにいちゃんが帰ってから来意を告げようと順番待ちをしていると、すぐに元気な声で
「こんにちはー!」
と声をかけてくださる方がいました。
後でわかったのですが、その方が織笠保育園の園長先生でした。
こちらも「こんにちはー!」とあいさつし、バッグなどをお持ちした旨お話しすると、とにかく感激され
「こんなのが欲しかった!」
「子供たちが喜ぶ!」
と大歓迎を受けました。
そこで、子供向け、一般の方向けバッグを運び込み、みなさんにお好きなものを選んでいただきました。
また、ヒラノ産業さんがご提供くださったレインウェアと安全靴をお見せするとたいそう喜ばれ、お父さんたちもお好きな色を選ぶのを楽しんでくださいました。
みなさんお好きなものを選ばれると、お願いしたわけではないのに「着てみて写真を撮ろう」ということになって撮った1枚がこちら。
「お父さんの好きな飲み物は?」
「ウイスキー」
と言ってまず1枚。
「お母さんの好きな飲み物は?」
「ビール」
と言って撮ったのがこの写真なのですが、ちゃんと口をすぼめているのが私だけ~?というまぬけな写真になってました^^;
この時間お留守の方も多く、ここに写っていらっしゃる方が全員ではありませんが、少人数なだけにみなさんがひとつの家族のような感じの避難所です。
ただ、プライバシーの確保はここでもできているわけではありません。
我が家の次男まーちゃんはここで子供たちと遊ぶことに。
支援品として送ってくださったバルーンを持ち込んでワンワンをいっぱい作っていました。
5人の子供たちはみなとても人なつっこく、まーちゃんにまとわりついたり乗っかったり^^
そうやって親しくなればなるほど
「いつ帰るの?」
「もう帰っちゃうの?」
と寂しそうな声も聞こえます。
この頃には日が暮れ始め、私たちも今日の寝る場所まで早めに移動しなければなりません。
そろそろお暇しようと園長先生にお礼を言うと
「ここなら安全だから泊って行ってください。」
とのお申し出をいただきました。
明日は宮古と決めていたためその日のうちに宮古に戻る予定でしたが、「何もお礼できないからせめて」とたってのお願いでしたのでご厚意に甘えることにしました。
その日は山梨県からボランティアでお越しの保育園のご一行がいらっしゃり、その方たちも宿泊されるとのことでした。
お陰で夜までみなさんのお話しを伺うことができたのは私たちにとってとても貴重な経験になりました。
目の前でちいさな我が子が流されて行くのを「どうにもできないのか」と必死にもがき、なんとか助けあげたお父さん。
人工呼吸をして蘇生した子がこの子なんです。とちいさな次男を膝に乗せて話してくださいました。
その傍らで
「なんでじいちゃんは助けられなかったの?」
と聞く4年生の長男に
「お父さん、そこまで手が回らんかった」
と。
「ならしかたない。そんならゆるす。」
と長男。
そんなお話しをたくさんたくさん伺いました。
避難所ではみなさん被災されていて、同じに悲しみを背負っていらっしゃる。
だからこそなんの縁もゆかりもない第三者の私たちにその思いを吐き出してくださったのかもしれません。
この保育園は町立でしたが、今年度から民営となったそうです。
この震災があったために5月いっぱいは避難所として提供してもらえるそうですが、6月からはみなさん他の避難所に移ることになるとのことでした。
別の避難所に移らなければならないことに、一様に不安を抱いていらっしゃいました。
ひとつ出来上がったコミュニティに入って行くことはかなりのストレスになるに違いありません。
織笠保育園のみなさんのご厚意により、足を延ばして休ませていただくことができました。
本当にありがとうございました。
2日目のご報告は申し訳ありませんまた後日に。
Roccoさん、ご家族の皆様
本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
私達の気持ちを届けてくださり、こうして教えていただけること感謝しています!
「できることをできるときに」
私もこの気持ちに大賛成です。
これからも応援しています!
そして一緒に続けさせていただけたらと思っています。
ありがとうございます。
> あっしーさま
お世話になります。
こちらこそ本当にありがとうございました。
被災地に足を運び感じることが多々ありました。
それを少しでもみなさんと共有できるよう、今後も活動を続けて行きたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします^^
Roccoさんおかえりなさい!
お疲れさまです。
私もあっしーさん同様、物資だけでなく気持ちを伝えていただいたこと、現地の様子を知らせていただけることをとてもありがたく思っています。
本当にありがとうございます。
お帰りになったのが昨夜遅くとのことでしたが、その後ちゃんと眠れましたか?
レポートの続きはいつでも構いませんので、お忙しいとは思いますが、まずはできるだけゆっくりお休みになって、どうぞご自愛くださいね。
ほんとうにほんとうにお疲れさまでした、おかえりなさいませ。
詳しいレポートに、読みながら手を握りしめていました。
小さなことでもできることをできるときに!
これからも一緒にさせて頂けたらと思います.
> ワタナベさま
お世話になります。
みなさんのお陰で私たちがあります。
こちらこそ本当にありがとうございます^^
たーくさん眠りましたよ~。体が痛くなるほど^^;
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
> Tomさま
お世話になります。
この2日間で感じてきたことを少しでもお伝えできればと思いますが、なかなか書き尽くせるものではないのが残念です。
Tomさんにいただいたスタンプは名刺に押してご希望のあった方にお渡ししてきましたよ。
とても助かりました^^
https://studiorocco.jp/images/namecard.jpg
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!